春
所詮、
所詮、わたしなんか。所詮、その程度。ずうっと、ぐるぐるまわっている。自分に価値があると自惚れていたわけではないはずなのに、所詮、わたしにはなんの価値もなかったんだと思うとやるせなさで身動きが取れなくなる。自分のすべてをかけたものを今まで、何度壊してきたんだろう。
とっくにこころは死んでしまったのに、どうしてからだだけ生きてゆかなきゃいけないの。いっそのこと、二度と這い上がれないように、殺してくれればいいのに。
今のわたしに、春を越えることができるのだろうか。去年の春、もういいや、と思った瞬間があった。ぜんぶに諦めがついた、さっぱりとした気持ち。あたたかくてやさしい光につつまれている街と、暗くてジメジメしている自分とのギャップ。職場のバイトの子が大学を卒業して新しい世界へゆく。その前向きな笑顔を見てわたしはかげで泣いた。どうしようもなかった。羨ましいとか妬ましいとか、そんな感情はなかった。でももう日々に耐えられなかった。それでも生きてる。そんなまいにちにもある幸せをつないで生きてゆくことは出来た。
わたしは病気じゃない。悲しいふりをするのが得意なだけ。毎年春は憂鬱になるけれど、それでも春は好きだ。
わたしはどこへだってゆける
あの日、これからの人生を余生のように生きると決めた。一度投げ出した命を大切におもうなんて、わたしには無理だった。おおきなしあわせも無ければかなしみもない暮らしを。日々を淡々とこなすことだけを考えていた。そんなのつまらないよとある人は言ったけど、わたしはそれで満足だった。どうせ一度死んだようなもの、もうどうだってよかった。自分の人生に、なんの興味もない。困ったら死ねばいい。死はいつでもそばに、わたしのなかにひとつの選択肢として存在していた。
休日
すぐ、ゴミのような生活をしてしまうな。パジャマのまま着替えてもいないし、なんなら昨夜はお風呂も入っていない、朝から誰にも会わず声も発さず。
心配ないですよ
刺されるように頭が痛むたび悲しくなる。なぜ、いろんな感情が最終的にかなしみへ行き着くのか。自信なんか最初から持っていないけど、自分にはほんとうがっかりだ。自分の嫌いなところは100個言えるけど、好きなところはひとつも出てきやしない。そうだった、わたしってこういうやつだった。昔からなにも、変わっちゃいない。自意識はやっかいだ。大好きなシンガーは自意識は病気みたいにとりついて鬱にさせると言っていた。ほんとうにそうだよ。
外は雨
同級生が死んだ。交通事故だった。メディアで散々食いものにされたあげく、街が彼のことを忘れかけたころ、彼は行ってしまった。
彼はこんこんと、2週間眠り続けた。機械に生かされている彼を前にして「今後一命を取り留めたとしても、状態は良くて寝たきり、もしくは植物状態でしょう。」と医者は言った。こんなのドラマか小説でしか聞かないフレーズだと思っていたのに、現実にあったなんて。
野球が大好きで明るくておしゃべり、絵に描いたような人気者で、お見舞いにはいつもたくさんの人が来ていた。会うことは、出来ないんだけど。
彼のお母さんが言った。「もしこのこの目が覚めても、もう話すことも出来ない、野球も出来ない。そうなるとこの子は苦しむと思う。だからもう、目を覚まさないほうがいいんじゃないか、とさえ思うの。」毎日泣いて、苦しんで、お母さんはその結論にいたったんだと思う。それにしても、こんな悲しい言葉がこの世にあるのかよ、と思って少し泣いた。「この子が選んだほうを受け入れるしかないわ」とお母さんは悲しそうに笑った。
それから数日後、彼は死んだ。
死ぬってなんだ。自分が死ぬことばかり考えていたけど、人が死ぬって、なんなんだ。空間にぽっかり、穴が空いてしまったみたいだ。
人は、しらないうちに未来の話をする。来年には、冬になったら、あしたは。
30までには結婚したいな、って言ってたじゃん。身体を鍛えようと思うって、彼女と旅行に行きたいって、言ってたじゃん。どれも叶わなくなってしまった。
彼は真夏に死んだ。わたしは秋を生きようと思う。
あしたへ
さいきん、作り置きだとか買いだめだとか、していると、これを使い終わるまで生きているだろうか、と思う。
いつ終わるか分からないから、遺書を書いた。書いている途中、ふと、書き終わったら死のう、と思った。そんなに深刻な感じはしなかった。ちょっとラーメンでも食べにいくか、みたいな、それくらい軽い感覚で、死のうと思った。
死のうと思うときにはいつも、同じ建物の屋上にいる。今までも、数回来た。地面を見下ろして、やっぱり無理だ、と思う。これもいつものことだ。死ねないとハッキリ分かると、すこし楽になる、ような気がする。
どうでも良くなって、コンクリートに寝転んでみた。このまま朝になるのも悪くないな、と思っていたら、ほんとうにすこし眠ってしまっていた。まだ夜風がつめたくてすこし身体が冷えた。
結局また死ねずに生きている。遺書を書く前につくったいちごのジャム、まだ半分近く残ってる。明日の朝は、トーストにしようかな。使い終わるまで生きてみよう。